読書家廃業

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やっぱり聞いたり読んだりする方が好きなんだな~

去年つくった貯金セルフチェックを更新しました。
ウラとボツ「貯金レベル、セルフチェック50題

相反するボツネタ群と自己矛盾

ボツネタの仕上げをしていたら、同じお題なのに意見が違う下書きがチラホラあって、その整理に苦労した結果、初心者、中級者、上級者の3レベルに分けてみたら、自分の中での違和感がなくなってスッキリしました。

「自分の経験」と、「よく見かけるおススメ」と、「私がいいなと思う貯金へのスタンス」が乖離していて、気分によってどれをメモするかが違うので、こんなことになるんだと思います。

聞いたり、読んだりしたことは楽しい

友達や同僚から聞いたこと、このブログにいただいたコメント、すごいブロガーさんたちの記事、そういうものを集めるのが好きみたいです。

だから、ボツネタまではサクサク作れるけれど、いざ書こうとすると、嫌になる。(笑)

貯金記事も自分が書くのは、四苦八苦。だけど、他の人の記事を読みながらだと何とかやり過ごせます。

読書を休みどころにして、作文練習。

聞いたり、読んだりする方が、書くより断然楽しいな~っと思いながら、ボチボチ筆を進めています。

徒然草に学んだライフレッスン

吉田兼好や鴨長明などの隠遁者を早期リタイアと重ねた(?)記事を見かけて、ふと思い出したことがありました。

国語の教科書はヒマつぶし

学生時代、授業が退屈で仕方がない時、時計の秒針を見ながら、息を止めていられる時間を計測したり、国語の教科書を読んだりしていました。

中学校の頃だったと思いますが、徒然草の「神無月の頃」を先読み。とても風情がある情景に感心していたら、たわわに実ったミカンの木の周りに柵がしてあって、興ざめでがっかりだなんて書いているのを読んで、「そんな事をわざわざ書いている貴方の方が興ざめだ!」なんて突っ込みを入れていたら、先生のお気に入りだったらしく、授業でじっくり読み解いた後、ダメ出しばかりの他の段の追加資料がつけられ、読書感想文のお題に指定されたことがありました。「小説」ではなく、「古文」がお題になるなんて、よっぽどのことです。(←なんとなく)

最も興ざめなのは誰か?

うげ~っと、思った私は、反骨心から「最も興ざめなのは誰か?」っという題で、感想文を書きました。

まず、筆者の吉田兼好。同じ教科書に漢詩が載っていて、(うろ覚えですが)春眠、暁を覚えずだったと思います。風雅さが段違いに負けている。

次に、ダメだし本をありがたがって、千年近く読み継いできた、過去の人たち。

教科書の編者(選者?)。同じ徒然草の他の段には、過去の偉人たちに読み継がれている理由となっている、もっと素敵な文章があるのでは?

更に、先生。苦労して読んだ割に面白くもなんともないものを読書感想文のお題に選ばなくてもいいじゃない?

そして、最も興ざめなのは、やはり私。「そうだそうだ~!柵なんてつけちゃう器のちっちゃい家主はダメだ~」的な感想を、素直に書けばいいじゃない?という内容でした。

んで、この感想文、一部の先生にウケて、危うく文集に乗せられるところだったそうです。但し、ご両親の心情に配慮して、載せないことになったと、卒業するころに教えてもらいました。

ぎょえぇぇ~~。

ライフレッスン

ご両親の心情に配慮してってことは、私の感想文を読んだ人が、「親の顔が見てみたい!」っと思っちゃうような、ダメな内容だったわけですよね…

そうじゃなくても、この内容が同級生の目に触れたら、大分凹んで、学校に行きたくなくなっていたと思います。シャイだったのですよ。ワタクシ。

思慮深い先生の英断で(?)、表に出なかったからよかったものの、自分で抱えきれる範囲を超えた、身に余る行動だったわけです。今振り返っても恐ろしい…

この出来事から、感情に任せて、他人にケチをつける事の危険性を学び、人生の教訓となったような気がしています。いまだに覚えていますからね。

敷居が高い兼好さんと等身大の長明さん

上記の経緯から少々トラウマ気味の徒然草です。こだわりが強い方の様なので、兼好さんのお宅にお伺いするのは、緊張しそうです。あれこれ思案して持参した精一杯の茶菓子でもダメだしされそう。

対照的に、長明さんのお宅は手ぶらで顔だけ見るのにフラっと寄ってもOKそうなイメージです。

冒頭文の美しさは凄いものがありますが、内容は大火事、大地震、飢饉、疫病などを思い出しては、「怖かった~、世の中儚いね~」などと回想してみたり、50歳差の小さい友人との交流のことや、お経周りのモノグサネタなどを「声に出して読むのが面倒なときってあるよね~」的な感じでまったりと書いていたように思います。

正座して向き合って座るイメージしか湧かない兼好さんと、縁側で横に座ってのんびりお茶が飲めそうな長明さん。何故か印象が対極的です。早期リタイアしたら、読み直してみたいものです。

本が捨てられない病の克服

イギリスに来てから最初の1年で、我が家の書籍数は半数になりました。それでも書棚1架には収まっておらず、クローゼットに隠しています。空きスペースが出来たら飾り棚的に使うのもありだし、2架目が欲しいなと思いつつ、モノを減らしたいという気持ちとせめぎあうこと更に1年経ちそうです。

本の捨て方1、ゴミ箱に入れることで、作家への感謝を行動で示す

これは以前にも書いたかも??

知り合いが本はゴミ箱に捨てるのが、作家への感謝法だと言っていました。作家は、印税で作品からの収入を得ますが、古本屋に売って循環してしまうと、その分の印税が入りません。だから、本は積極的にゴミ箱に入れて、また読みたくなったら、また買うのが感謝(と敬意)の表し方だとのことでした。

これはとても納得できる説明です。

頭ではわかっていても、心が抵抗して、すぐに捨てられるようにはなりませんが、重要な第一歩でした。これを聞くまで、本をゴミ箱に入れることができませんでした。

本の捨て方2、自宅に人を招く

客人を招くとき、見られて恥ずかしいものを隠したことはありませんか?、本に関しては、隠すのではなく、捨ててしまうことにしました。

私の場合は、「そんなんだから結婚できないんだよ」などと思われそうな、ビジネス書、マネージメント&マーケ本、専門書、投資本をかなり捨てることが出来ました。

しかし、自分でも意外だったのは、ゲームソフトは、開き直って書棚に残したことです。間違った方の大人への階段を更に登ってしまった気分です。好きなモノはしょうがない、堂々としていよう!って、ゲームから卒業する気、ほぼないです。

本の捨て方3、絶版を心配する本だけ残す

これは最近パソを買ったときに感じた罪悪感に通ずるものがあるのですが、自分には活用できない身に余る、身の丈以上の持ち物を持つことに抵抗があります。

本に関しては、内容を忘れてしまっているものが多すぎると感じています。中の知識はとても価値があるものかもしれず、そしてその価値は劣化・減価を起こしません。それなのに私は内容をすっかり忘れてしまって上手く活用できていないことに罪悪感を感じてしまうというか、そんな感じです。それで、この状態のまま捨ててしまっていいのか迷うんですよね。

読んでいない本はないはずですし、覚えていないのであれば、その程度の本だから捨てちゃって大丈夫なんでしょうけれどね。

絶版になると入手できなくなるので、その点が心配になるほど面白かったものだけ残せばいいんでしょうけれど、本のほとんどがいずれは絶版になる気がする事と、最初に読んだときは面白いと感じなかった本が、読み返すとすごく面白く感じることがあるので、「今の私にわからないだけかもしれない」などと考え始めると捨てられなくなります。

このあたりの折り合いを上手くつけられるように訓練中です。続きはまた来月。

読書家を廃業しても、インプット型は変わらない

新しいパソコンを買って、何をしているかと言えば、Netflixの映画やドラマで4Kスクリーンを堪能しております。写真やブログ記事をスムーズに更新できるようになったのに、やはりインプットに傾倒しております。

アウトプット型の人の頭の中がしりたい

私のブログ記事は、「自分から発したクリエイティブな何か」は皆無です。誰か別の人の活動で印象に残ったことの備忘録です。作家になりたい、映画監督になりたい、ゲームをデザインしたい、レシピを考案したいなど、クリエイティブなことをしたいと思わず、またできるとも思っていません。

本日の記事も、「「本を書きたい」人が読むブログ」というページをブログにメモするためです。

「作家 書きたい 理由」で検索して、発見しました。「クリエイティブな人の生態=宇宙人の生態」の感覚で、興味が湧きました。読み物として面白そうです。

アウトプット型の人に興味津々です。

同僚の妹たちが、文学や演劇を学ぶ学部に次々と入学して、(彼には)よくわからない創作活動に勤しんでいるらしいです。理系は自分一人だとぼやいていました。文系は英語でArt、理系は英語でScienceです。Science学部に入学するのに、才能はいらない。ただテスト勉強するだけ。才能が必要になるのは研究職についてから。それだって、才能ある教授や上司の指示・アドバイスに従うだけで、労を惜しまなければ、ある程度まではいける。Art学部に入学できる人は、入学時点から既に何らかの才能がきらめいている人っぽくて、尊敬するっと言ったら呆れていました。

でも、実際、そんなイメージです。

ただ書きたいから、書く?

いろいろ読んでみましたが、小説家になりたい人は、ただ書きたいから書いている方が多いっぽいです。もちろんお金のためとか、有名になりたいとか、そういうのもチラホラ見かけました。で、結局、「ただ書きたい」という部分がわからないところで詰まってしまいます。

そしてまた、とりあえず、現状のメモです。

ないから、創ってしまう??

ブック・アサヒ・コム、「八杉将司(作家)ないなら創ればいい」より引用

ないなら創ってしまえと自分自身で漫画を描いていました。誰かに見せるために描くのではなくて、自分で読みたい漫画を自分で描いていました。(中略)

荒唐無稽な事柄をあえて現実にあるものと想像して世界を構築し、それをフィクションである小説にする……つまりぼくは新しい世界を書きたかったのです。そこで生きる人々(地球人類でないのも含む)を活写してみたかっただけなのです。
 思えば自分で漫画を描いて遊んでいたときとたいして変わっていませんね。
 ないなら創ればいい。
 その発想自体がSFなのかもしれません。

しえ~。すごいなこの人!外国暮らしで日本の書籍や漫画は手に入りやすい状況とは言えませんが、ないなら自分で書いてしまえ~っとか、思ったことないです。

置き換えると、「面白いブログ記事がないから、自分で書いてしまえ~!」ってことですよね。あるから、たくさん。そもそも困っていないのでした。笑。

読書家廃業後、ネット依存気味。って、ダメじゃん?

読書好きの外国暮らしは、つらい


読書が好きで、昔はよく本を読んでいました。
外国暮らしでは、日本語の本はなかなか手に入りません。
※特に、中国・インド

駐在初期は、帰国時にたくさん買いだめしていました。
重いので持ち運びが大変でした。

インターネットもアクセス規制があったり、インフラが弱かったりで、あまりスムーズな環境ではなかったので、どうしても本依存になっていました。
この為、少々重くても、必死に持ち帰っていました。
涙ぐましい…


イギリスで本を買う


イギリスには日本の本屋さんがあるのですが、高くて手が出せません。

外部リンク;
英国ニュースダイジェスト、UK便利ガイド、日本語書籍販売



だからと言って、英語の本は…
ひらいて即刻、寝落ちしちゃいます。
赤面。


イギリスはネット環境も良好!


先進国って、いいよね~。
っと、思うのは、ネット環境が安定している事です。
通信速度、はやい~。

それで、本がいらなくなってしまいました。
でも、かわりに少々ネット依存気味かもしれません。

始終ネットばかり見てしまいます。
だらだら読んでいる間に、記事の手直しでもすればいいのに…
なんて、自分に突っ込みを入れたりしています。

「ブログを書いている事で、少しは生産的なこともしているからいいよね?」
とか、
「これは、だらだら読んでいるのではない、記事を書くために調べものをしているんだ!」
などと、

自分に言い訳している自分がなんだかむなしくなってきたので、今年もネット断ちに踏み切ったのでした…