一日の終わりの形は、人生の終わりの形。ぎゃ~っ。

一日の終わりの形は、人生の終わりの形。ぎゃ~っ。

昨日は、記事を書いている間に寝落ちしました。書きかけの記事はとりあえずボツにして、起き抜けに浮かんできたことを書くことにしました。


寝落ちか、ふて寝か…


他の人の寝る前ってどんな感じだろう。私の知る中で、もっとも不思議な寝入り方をする人は、祖母です。あの人は凄い。「さぁ~。寝よう~」っと、横になって掛布団をかけた瞬間に眠りに入れます。その速さに孫達あんぐり。弟が「最近、おばあちゃん化してきた自分に恐怖する」と言っていました。

私は、「寝落ち」か「ふて寝」のどっちかです。
一昨日、家事をのらりくらり終えて、一日をスッキリ終了しようと思い立ったばかりなのに、昨日は早速、片づけを始める前に寝てしまいました。起きたら雑然とした部屋がそこにありました。ぐふっ。いたい。(毎週の事だけど。)


想像上の「キチンとした人」


一日の仕事を終え、一日の家事を終え、少しやりたいことをして、きれいに片付いた部屋の戸締りを確認して、布団に入り、目を閉じて一日を振り返って、すっと寝る。

正しい?

人生の「終活」についての記事をたまに見かけますが、そういう人はキチンと一日の「終活」もしていそう。有終の美ってやつ?毎日有終の美を目指している人の人生の終わりはさぞ素晴らしいことでしょうね~。でも、毎日「○○活動」なんて、ちょっと息苦しいです。「就活」のイメージが抜けなくて、「活」の字を付帯するものは、「婚活」「終活」いずれも苦手意識が大きいです。


「終わり」について頭に浮かべる


とりあえず、一番大きい「終わり」は、やはり「人生の終わり」でしょうか?

働かない生活を満喫する人の家計簿、「あの時の選択を後悔し、パラレルワールドに囚われる。」より引用;
人がこうして老後のことばかり気にかけるのはなぜか。
きっと、老後が人間が想像できうる最終地点だからであろう。

もしもあの世とか来世とかそんなものがごく一般的な認識として広まっていたとしたらば
今世での老後なんてものはただの通過点に過ぎず、TSUTAYAのランキングには

「今世の貯蓄はこの人生で使い切れ!」
「来世は何になる?次の人生を思い通りに選ぶために今すべき50のこと」

みたいなタイトルの本が当たり前のように並ぶのではないだろうか。


※↑断りなしで、申し訳ないです。

周りに上記のような思考ルートをたどる人が結構いるので、なんだか親近感を感じます。

「1日」は、「人生」に匹敵できない程短い期間ですが、ひとつのサイクルではありますよね。「1日の終わり」を検索したところ、こんなものが見つかりました。

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー、「1日の終わりの5分に自問すべき3つの質問」より引用;
私も無自覚なまま、同じことを繰り返していることがある。人は年齢に応じて賢くなるものだとは思う。しかしどういうわけか、同じ過ちを犯すのだ。裏を返せば――まったくありがたくはないが――たくさんの正しいことをするが、それを繰り返すこともできない。

 それにはある単純な理由がある。私たちは、立ち止まって深呼吸し、何がうまくいっているのか、何がうまくいっていないのかを思案するということがほとんどない。やるべきことがたくさんありすぎて、内省する時間がないのだ。



この後、仕事終わりに振り返る3つのポイントが紹介されていました。納得するところも多かったのですが、気持ちよく「終わる」為の記事ではなく、よりよい「未来を創る」ための記事でしたので、求めていたものとちょっと違います。しかも、「仕事終わり」が「1日の終わり」と同等扱いなのか、いつの間にかすり替わるところあたりが、相当な社畜ですな。

「眠る前の習慣」も検索してみたのですが、やはり同じ状況でした。そりゃそうか。うーん。


自己洗脳失敗


面倒くさくても、身体がきつくても、なんとかちゃんとしてから寝るような動機づけを行おうとしていたのですが、惨敗です。なんというか、「成功」や「生産性向上」を目指してもっと重いものを持つ為の準備というよりは、毎晩ちゃんと荷下ろしていますか?的な記事を探していたのですが、見つかりませんでした。

日本人、向上心つよすぎ。


んじゃ、ぐずぐず調べものをして先送りするのもこの辺までにして、さっさと起きて片付けを始めましょうかね~。
しかたあるまい…

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