「惑わず」前の内面の変化

「惑わず」前の内面の変化

これも、忘れないうちに、備忘録。ブログというのは、特に忙殺されているような時期に気付いたことをメモしておけるのでいいですね。


ひねくれている?


本人はあまりひねくれた性格だとは思っていないのですが、変な覚悟を決めていることがあり、その一つが「嫌われる覚悟」です。最初はかわいい感じの「覚悟」からスタートしました。皆な考え方が違うから、全員説得できるわけじゃないけど、多少嫌われちゃっても、仕事だし進めなきゃいけないよねって。進めている間に成功体験を積めれば、心から協力してくれるようになるかもしれないし、えいやぁ!ってな感じです。


しかし、最近では末期にいたって、他人全般に向けられています。今だに「好かれたい人」はわずかです。感情的な人は「好き嫌い」で全てを判断するので、たちが悪く、手におえない。但し、「なぜか感情的な人ほど、「感情論」だと指摘されると嫌がる傾向にあるので、物事基準で「論理的」を強調しながら話を進め、仕事以外では極力関わらないことで風評被害を最小化する。」という方針です。我ながら殺伐としています。


ゲーマーだからか、ストーリーが進まない(=プロジェクトが前に進まない)と面白くないですし、敵が強すぎてゲームオーバー(物理的な制約からプロジェクト中止)になっても、進行させたいストーリーならまたやり直せばよい。と思っています。

挑戦する前に社内の反対派に潰されて中止したプロジェクトが3年後に相手方から再開要請を受けるなんてこともたまにあります。癪なのか忘れているのか他の人に任せることもあるみたいです。


そもそも新しい敵の技や魔法を事前に完全予測するのは不可能ですから、ある程度強い状態で挑めば、大抵なんとかなって、一段上の経験値を得られますし、次回から同じ敵とは上手に戦えます。厳しかったら「にげる」という手もあります。ま、最悪ゲームオーバーでも、前のセーブポイントからまたやり直せばいいじゃない?今度はちゃんと専用装備・薬を道具屋で買っとこうね~的な。

こういう姿勢を、「軽薄で、テキトーで、信頼できない。」と感じる人が現実世界には沢山いるんですね。そういう人は「今、上手く行っていることを変える必要はないから、無駄に攪乱するな」っと言ってくるわけです。

表向きには、「マーケットは刻々と変化・進化を遂げているので、適応できないと今年の新入社員が定年するまで会社が持続できなくなる可能性がある。」(一応事実だし)なんて言っているんですけれど、本音のところは、「いつまで最初の村で絶対負けようもない敵と戦って、雀の涙ほどの経験値とギルを稼いでいれば気が済むのか?」っと、うんざりしているわけです。でも、本音をいっちゃうと、「仕事は遊びじゃない!真面目にやれ!」とか「こんないいかげんな人に任せられない」と騒ぐ人がでるので、口チャックです。

正直、バカバカしくて、好かれたいと思えない人達が、沢山いるのです。人嫌いの源泉ですな。特に、社歴が私より長い人達は、自分の方が正しいと思っているので、聞く耳持っていない感じです。別のボツ記事;「老害の開始地点は35歳」、掘り起こそうかな~。


わかる人にはわかる


「あの城を攻略したい」でわかる人、「城の攻略中」にわかる人、「城下町を育て始めて」わかる人、「発展した城下町で観光して」わかる人、「豊かな城下町特有の交易品」を手にしてケチをつける人、まぁ、いろいろです。

最後のグループの人にビジョンを共有するのはムダ。最初のグループの人が誰かを察知し、その人達だけに説明する。それ以外は初期段階では反対者・妨害者でしかないですから。社内に敵が多いって容易に想像つきますよね。あはは。

そういう意味で、ずっと上司には恵まれてきてよかったです。そうでなければ私は正味ガラクタでしょう。理解してくれる上司達が、私に「放任タイプ」のラベルをつけてくれて、あれこれ言われながらも、手厚い保護の下、いろいろな事を進めることができたので、まだ仕事を続けていられます。だから、マイクロマネージメントな上司の下ではガッツリ潰れてしまったんですね。イタイ。MP高めでも、MNDよわっちいんですよね~。

転職組に話を聞くと、こういう構造自体は、どこにでも存在するっぽいです。だから、最初の難関である「放任タイプ(特別枠)」のラベル貼りが終わっている今の会社がマシじゃない?と、思っています。


変化


上記で伝わったかどうか謎ですが、敵が多い事にも、理解されない事にも、現状維持派の妨害者にも、慣れきって、大して心を動かされなくなりました。断片的だったとしてもわかってくれる人は、ゼロではありませんし、好かれるために最初の村に留まるのはもっと苦痛ですから。日々日々、漱石に共鳴です。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。



まだ、詩も、画もできていませんが…


これが私の「惑わず」の境地なんだろうな~っと思っていたのですが、そうでもないかもしれません。
(ん。ここまでだらだら書いて結論が下記の3行というのは微妙ですが、まだ過渡期なのでごめんください。)


仕事じゃないのですが、最近、なぜか「言い訳」をしたくなる場面があり、なんとも久しぶりの感覚でした。「説明」ではなく、「言い訳」と感じたことから、理解されたいを飛び越えて、不相応に自分をよく見せたい(=多分、好かれたい)のだと思われ、驚きました。実際のところ何のアクションもとらないと思いますが、どうしてそう感じたのか、私の惑わず感がこれからどう変化するのか気になります。

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