書評じゃないよ!「草枕」

書評じゃないよ!「草枕」

ストーリーはないよ。で思い出したボツネタを掘り起こしてみました。まとまっていません。ボツネタだけに。2,000文字弱。(予約投稿)

漱石の本の中でも『草枕』がとても気になる理由は、作品とは離れた部分です。多くのレビューと漱石自身の作品紹介がどうにも釈然としないからです。プロットがかなりキレイに書かれた小説だと思っているのですが、漱石本人が、プロットも無ければ、事件の発展もないと言っているし、唯美しい感じを覚えせさえすれば、それでよいってことらしいです。

漱石がどういうつもりで、プロットはないと言ったのか、とても不思議です。本人がプロットの存在に気付いていなかったとか?、まさかね。

あのプロットが漱石自身にとって、筋書に見えない程に自然だったとか??、それは不幸体質すぎるよね。

美しい感じはかなりするけど、明治時代、漢詩がわかる人が今より多かったとしても、ターナーとかみたことある人がその時代にどのくらいいたのかな?文章から想像出来る美しさの7割ぐらいは教養がないと厳しいのでは?

私にとってあれは、世間に対して辟易している厭世的な主人公が、世の中との新しい距離感(非人情)を見出す旅で、冒頭と結末の間は、プロットに沿ってずっと考え事をしているのです。確かに小説の中に本人に起こった事件は書かれていないないけれど、主人公はとてつもなく深刻な心理状況に追いやられていて、そこから救われるために、面白おかしく思索を巡らせていますから、一つ一つのエピソードは爆笑モノですが、「なんでそんなことを考えたのか??」という点において(語られないケド)物悲しい主人公のストーリーが根底に流れていて心が痛むのです。

衝撃的な冒頭からあっけにとられる結末までの間のプロットも、順番を変えることができないものがいくつもあると思っています。

まず、美の東西を比較して、唐詩の方がいいといった理由。そこからすぐに、

淵明だって年が年中南山を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪の中に蚊帳を釣らずに寝た男でもなかろう。やはり余った菊は花屋へ売りこかして、生えた筍は八百屋へ払い下げたものと思う。こう云う余もその通り。いくら雲雀と菜の花が気に入ったって、山のなかへ野宿するほど非人情が募つのってはおらん。

なんて、瞬間的に別乾坤を建立した(←)芸術家のリアルを想像した上で、自分と世間との距離感について書いています。この部分は基礎になる考え方を説明しているので、序盤で描かれる必要があって、後半に入れ替えられるものではない様に思います。

その後、他人の醜聞を聞いたり、その当人のあり様を観察したり、石段の上と下の別世界を両方を客観的にみる訓練をしたりします。ある出来事を受けて、その範囲に限った考え事をして、次の出来事へつながって、また追加で考え事をする。順番が変わっても考え事の進展に影響を与えないイベントがあるのかな?、登場人物を上手く分散させながら、和尚周りの仕上げに至るまで、見事につながっているストーリーにみえるけどな〜。

基督(キリスト)は最高度に芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼は画と云う名のほとんど下すべからざる達磨の幅を掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利きくものと思っている。それにも関かかわらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢のように行き抜けである。何にも停滞しておらん。随処に動き去り、任意に作し去って、些の塵滓の腹部に沈澱する景色がない。もし彼の脳裏に一点の趣味を貼し得たならば、彼は之く所に同化して、行屎走尿の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。

個人的には、このくだりは最後の方にあるべくしてある感じです。

各章の順番を入れ替えられないという意味で「プロット」はかなりしっかりしていると思うんです。

嫌な世の中から美しいものだけを楽しんで、もしくは自分が美しいと思えば良いんだという自己満足の境地を学んで、心の平安と自分なりの喜びを見出す旅で、「美人との間に何も起きない」ことが重要なんじゃないの?

だからこそ、あの結末に至れるわけで...

そうして至る結末は、目的は果たせたけれども、ある意味不幸な終わり方なんですよね。

個人的にはドロドロした世の中に、やれやれと思いながらも主体者として再び入っていけるほど心が回復したというのがハッピーエンディングになったんじゃないかと。

だから話自体(プロット)は全然笑えないし、ワクワクしないんです。

読者レビューに、どこから読み始めてもいい、美しい、俳句的作品などろ書かれていると、リア充め!っと舌打ちをしたくなります。

世の中との距離感に結構苦しんだ人間の自虐ネタとして爆笑できるし、共感するけどね、っとかなりヒネた自分がかわいそうになってきました。最高レベルの詩的美しさを誇るシニカルなジョークが満載という意味で、非常に贅沢な作品だと思っています。ただこれだけシニカルなのに漱石が「俳句的だ!」っと主張したのであれば、それは本文に書いている

いずれにせよ、どうやら自分はこの作品をどうも完全に読み違えているらしい事がとてもがっかりで、自分の読解力に自信を失くす、印象的な作品です。たくさん本を読むと1冊からの印象は薄くなりますが、誤読は強烈な印象を残します。

だから、これは、書評じゃありません。

Comment


★おぉ。芸術論ですか!そうかも。★


お読みになられたのですか〜。なんだか感激。じーん。
ナルホド!絵描きの主人公に共感し過ぎたのがよろしくなかったのかもです。
なんというか、あれだけ世の中に辟易している主人公だし、恋に落ちる元気があるとも思えなくて、何も進展しなかった事に違和感を感じていなかったんです。そういう時に退廃的な方向に進まず、芸術論たっぷりで、髪結い床や和尚と雑談しちゃっているところは小説っぽくないかもしれません。

次に読む時は、那美と野武士のストーリーをもっと追ってみます。


> この記事の赤文字の二つ目の文章内の「夫でよい」
その時代(漱石だけ?)は「それ」と読むらしく、ルビを振ってみました。
(一度使ってみたかったrubyタグデビューです)

のろのろ |  No.457


★読んでみましたよ〜★


こんにちは。
真っ先に私が感じたのは、この作品全然小説じゃないよなぁ、ということです。
はっきり調べた訳じゃないけど、物語の部分より絵画論とか文学論、あるいは広く芸術論みたいな文章の方が多いような気がしました。

また物語の軸になるのは、絵描きである主人公のことではなくて、那美と彼女を巡る2人の男のことなんじゃないか、と私は思いました。
那美がいやいやながら嫁ぎはしたものの出戻ってきたのはどうしてか?それが一番私は気になった、という方が当たってるかな。

あ、それとちょっと気になってることがあります。
この記事の赤文字の二つ目の文章内の「夫でよい」ってのが???なんですけど・・・。

ケフコタカハシ |  [ 編集 ] No.456


★最近、書評が読後の楽しみになりました★


書評を読んだりする事がほとんどなかったので、自分の感想がちょいちょい世の中からズレちゃっている事を映画ブログに学びました。赤面。

映画もそうですが、昔みた、読んだのに全然覚えていない事がありますよね〜。読み返してこんなに面白かったのか〜っと、感動するときと、あれ?これ、読んだよね?っとちょっぴりがっかりする確率は、私の場合、半々です。面白く感じられるといいですね〜。

のろのろ |  No.452


★書評とかレビューとかって何なんでしょうね?笑★


こんにちは。
漱石は坊ちゃんと猫くらいしか読んだことないような気がしないでもない。
というか、読んだことはあっても覚えてないだけかも。
読んでみようかなぁ「草枕」
そうそう、近頃若い子たちに文豪ブームってのがきてるらしいですよ。

ケフコタカハシ |  [ 編集 ] No.450

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